2014/06/18

人生勉強中(三)

 二十五年ってけっこう長い。
 でもですね、中年になってみると、二十五年前なんて、ほんのちょっと前くらいの感覚なのである。
 高校時代のことはすごく昔におもえる。クラスメイトの名前や顔もおもいだせない。

 上京して、十九歳でライターの仕事をはじめてからは、本読んで原稿書いて寝てのくりかえしの生活で、それ以前とは時間の感覚がちがう。
 だから二十五年といっても、その実感はない(※あまり仕事をしてなかったからかもしれません)。

 原稿料で生活できるようになったのは三十代の終わりごろで、それまではずっとひまだった。ひまだったから、お金をつかわない生活をしていた。
 だから「ハイ、ハイ、次、次」と失敗を忘れて、次のしめきりのことを考える生活も最近になって身についてしまった習慣である。よくないことだとおもっている。

 食べていくための方法、というか、方向はひとつではない。

 手っ取り早く稼ぎを増やせたらいいのだが、それはそれで時間やらいろいろなものを失う。
 できれば余裕を失わないていどに働いて、あまりお金をつかわない暮らしがしたい。ただ、そういう暮らしもいつまで続けられるのかわからない。いざというときのために、多少は余裕がほしい。そうすると、余裕を作るために働いて余裕を失うというサイクルにはまってしまう。

 結局、生活レベルを上げるのも下げるのも維持するのもむずかしい。

 何を足して何を引くか。そんなことばかり考えているのだが、年々その計算が複雑になってきている。

(……続く)